先ずは軽く幼少期のお話し

マスターは今で言うシングルマザーの家庭でした。
義父はマスターが5歳の時に亡くなったそうです。

ママさんが義母を尊敬する理由の一つ。なかむらを女で一つで職人さんやパートさんを使い、休みも少ない中2人の子供を育て上げた事!
脱帽です。

今よりのどかな時代でしたマスターが初めて釣りに行ったのは、小学一年生の時ひとり自転車でおゆみ池まで行ったそうです。釣果はどじょう1匹笑😅
今だに趣味の一つ!

 

ママさんはと言うと、今となっては当店の親会社 JFEスチール!旧川崎製鉄に勤める父と関連会社に勤める母に愛情一杯に育てられた、少々トロく、少々おばかちんの女の子😅平凡ではありますが、幸せな家庭の子でした。
小学校は違えど中学校は同じ!言わば幼馴染風ですね。

高校生でお付き合いがはじまり、紆余曲折を経て結婚に至りました。❤️
当時、私達が40年も一緒にいるなんて親戚一同想像もしていなかったでしょうね…いつ帰って来る?って良く言われましたから。

側から見ても到底ママさんが耐えられる状況ではなかったのでしょう…

が、しかし
義母の葬儀の席で我が父が「自分の娘ながら良くやったと褒めてやりたい」と言ってくれたのを聞いて嬉しく思いましたし、見守ってくれていたんだと感謝しました。

それからと言うもの、これでもかと言う程の親孝行をして来ました。
食事、買い物、旅行と一緒に良く行きました。
母はなかむらでパートしながら子供達の面倒も見てくれてありがたかったです。

変化が起こったのは母が70代半ばくらいでした。
時間かまわず電話して来て、頭が痛い、食べる物が無い、気分が悪い…等々
おかしいと思い、MRI撮りに行ったり、物忘れ外来に行ったりしました。
問題無いとの結果でしたが、なんかおかしいとママさんの直感!
この辺りからやはり変わってくるんですよ!
なんかおかしいから…

明日に続く